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【インディアン今昔話】USレース界伝説の異能児 “ジョー・ペトラリ”

こんにちは、NORTH OSAKA INDIAN MOTORCYCLE(HDxMINO)の西尾です!!!
シーズン到来♪梅雨入りまでに乗れる相棒探しはお早目にご相談ください♪

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【インディアン今昔話】伝説を再起動した投資家 ― 復活の狼煙"ステリカン"

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「語れるインディアンをしっかり語ろう♪」という訳で、不定期連載中の【インディアン今昔話】(;゚∀゚)=3

・歴史編(創業から現代まで)
・インディアン復活の英雄編
・インディアン人物伝 と3つに分けているのですが、今回は【人物伝の第二弾】でございます\(^o^)/


 

運命すら追い越した男──ジョー・ペトラリ

偶然に導かれ、時代を駆け抜け、幾度も限界を更新し続けた“異能のレジェンド”。
1920年代初頭から「インディアン」「ハーレーダビッドソン」で途方もない記録を打ち立て続けた男の生涯に迫ります!

 

 

1904年、のちに「USレース界の神話」ともいうべき活躍を見せる"ジョー・ペトラリ"がサンフランシスコで生まれます。
※抱っこされてる赤ちゃんがジョーさん♪カワイイ♪

彼の家の近くには「サクラメント州立のレース場」があり、彼は7歳にしてピットクルーに紛れてレース観戦(特等席で!!)を開始Σ(゚Д゚)
で、よく出入りするジョー・ペトラリを見知ったレーサー達は、次第にピット内での雑用を頼み「レースが日常にある」生活が早くもスタートしたそうですΣ(゚Д゚)


その当時、バイクレースは木製で出来たトラックを猛スピードで周回する【ボードトラックレース】が主流でしたが、"燃費走行を競う"【エコノミーラン】というレースも非常に人気だったそう。

で、14歳になったジョーは「全国規模のエコノミーラン」に出場し、ガソリン1ガロンで176マイル(約3.8リットルで283km)を走破して大会で優勝!!

ちなみに「エコノミーラン」には「巧みなアクセル操作(無駄にガソリンを使わない)」が必須だったため、当時から彼は"天才少年"と呼ばれていたそうですΣ(゚Д゚)

そして17歳になった彼に転機が訪れます。。。。。。


Joe entered a race in Fresno, CA riding an Indian motorcycle that would have gone unused as it had been prepped for the late Shrimp Burns who had tragically died the week before.  

After being boxed in by the Harley-Davidson team most of the race, Joe feigned an issue with his bike, got some space, and raced into 2nd place in the final lap.  

In the next few years, Joe established himself as a very successful racer for Indian.

https://thejoepetralifoundation.org/

 

たまたま前の週に亡くなってしまったレーサーの為に、もともとマシンを用意していたインディアン。
ジョーの才能に目を付けで「乗ってみないか」と打診したレースで見事2位でフィニッシュ!!

大半はハーレーに圧されるレース展開の中、最終ラップ手前でわざと失速(エンジントラブルを装う)し、周りを油断させたのちブチ抜いての2位Σ(゚Д゚)

しかもその車両は「燃料系統のテストを兼ねていた」そうで、本当にエンジントラブルも出ていたらしい・・・というから驚きですΣ(゚Д゚)

そのレースでの活躍から、インディアンの正規レーサーとしての活動が始まり、数年間"インディアン最速のライダー"として大活躍!!

「車両が余っていた」という偶然のチャンスをモノにしつつ、「エンジントラブルを利用」して結果を出す高いレーサーIQで、一気に頭角を現します(;゚∀゚)=3ハァハァ


で、ここから信じられない活躍をしまくるのですが、ん・・・・??乗ってるバイクがハーレーですけど~~~~~!!!!!?なんで!????


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1925年、ペンシルバニア州のボードトラックレースに出場する予定のジョー。

乗るはずのインディアンが来ない・・・・
レースに出るはずのインディアンが来ない・・・・

調べてみると【間違って隣町に運ばれてしまっていた】ということで、レース出場がピンチに・・・Σ(゚Д゚)

ここでまた、スピードの神様のいたずらなのか、『練習走行でハーレーのライダーが骨折・出場できない』事態にΣ(゚Д゚)

で、急遽「この1レースだけ、ハーレー乗って!!」という契約成立、無事にレースに出走するのですが・・・・


ただ勝利しただけではなく、史上最速記録(100.36mph)を叩き出して優勝Σ(゚Д゚)
 しかもこの記録、いまだに破られていない伝説級の100マイルレース記録になる・・・・・ってすごすぎませんかΣ(゚Д゚)

この活躍から、インディアン→ハーレーダビッドソンへと電撃移籍!!!

ボードトラックレース、その後のダートトラックレースでも無双するジョー・・・・・!
1935年、彼は自分が出場したクラスのAMAレース13レースすべてで優勝し、4つの記録を塗り替えるという無敵のレーサーにΣ(゚Д゚)

 

 

  • しかも、【ボードトラックレース→ダートトラックレース】で記録を打ちたてまくった彼ですが、レース中に大けがを負った1年の休み明け、今度は【ヒルクライムレース】にも挑戦・・・・・Σ(゚Д゚)


    ↑ハーレーミュージアム前に鎮座する銅像・ヒルクライムでの彼の雄姿が表現されてます(*´Д`)ハァハァ

    1932年から1936年にかけて、ヒルクライムレースでも47レースを含む全米選手権を5連覇・・・・ってマジでバケモンやんΣ( ̄□ ̄|||)

    トラックレースで無双・ヒルクライムでも無双・・・・!!
    これでもうレースはやり切ったのかな~と思ったら、個々からまた波乱万丈の"スピードの神に愛された"激動の人生がΣ(゚Д゚)

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1937年、ハーレーダビッドソン供給による"ジョー・ペトラリ専用設計"の流線形マシンに乗って【時速136.183マイル(約時速219キロ)】を達成Σ(゚Д゚)

後年、"世界最速のインディアン"バート・マンローが記録を打ち立てた「ボンネビル・ソルトフラッツ」以前の環境下では、途方もない記録でしたΣ(゚Д゚)
※ちなみにこのレコード、FIM(二輪車のモータースポーツを統制する国際機構)の公式記録として認定済み

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あ~~~お腹いっぱい!!!!!
凄すぎ!!
てかインディアンが間違って配達されてなかったら、"インディアンで記録打ち立てまくり"やったのに~~~~~!!

と思いますよね?私も思います(;゚∀゚)=3ハァハァ

でも、ここからまだまだ!彼の物語は続くのです(;゚∀゚)=3ハァハァ




  • オートバイレースの世界を離れ、次なるチャレンジは【航空業界】!!

  • 「ハーキュリーズ」という木製飛行機のメーカー"航空技師~主任整備士"へと転身しますΣ(゚Д゚)
    メカを触る技術・その知識も天才肌だった証拠・・・・ですが、いくら何でも凄すぎません?????

  • で・・・・

    今度は「インディ500」へと活動の舞台を移し、「ピットクルー」として第一線で活躍Σ(゚Д゚)
    USレース界(四輪)の発展に大いに貢献したと言います・・・(*´Д`)スゴスギ




    その後、1960年代は、ボンネビル・ソルトフラッツでの陸上速度認証も担当し、【世界最速に挑む者たち】を見守る人生を送ります・・・・・!!

    え・・・・
    ちょっとまって・・・・・??

 

【登場人物全員善人】夢を追わない人間は野菜と同じ!?この映画ぜひ観て!!

 

 

【世界最速のインディアン=バート・マンロー】さんが世界最速記録に挑戦したのは【ボンネビル・ソルトフラッツ】・・・・・

彼の最初のチャレンジは「1962年」で、最速記録を成し遂げたのは「1968年」・・・・

ジョー・ペトラリは1904年生まれ・・・・ 1960年代でちょうど60歳前後。引退後に「レース計測官」として関わるのにぴったりの時期。

AMAやFIMのスピード記録委員として活動=正式記録を認定する側の人間になっていた。

ってことは・・・・「バート・マンロー」の世界最速チャレンジのソルトフラッツ =「そこに居た」可能性は高い・・・・・!!!!!!????

 

うわ~!!!!正式な記録が残っていないのでなんとも言えないのですが、

【ボンネビルの現場にいた “レース界の大先輩” ペトラリが、後進マンローの走りを見ていた可能性】!!!エモ過ぎぃぃ!!!


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そして晩年、彼はまた"エコノミーラン(燃費走行大会)"に原点回帰して参加、レース挑戦中に心臓発作で帰らぬ人に(享年69歳)なります・・・・。

波乱万丈 とか 千載一隅 とか 不撓不屈 とか、いろんな言葉が浮かんでくる、そんな彼の人生・・・・。

速さを極め、険しき山を登り、そして空を飛んだ男。
彼の人生には、常に“前へ進む”という意思があった。

その名は、ジョー・ペトラリ――
速さの伝説に、これほど多彩な章を持つ男が他にいるだろうか。。。。。

のちに"世界最速のインディアン=バート・マンロー"にも引き継がれている"挑戦者魂"と生き様を感じました(*´Д`)

さあ、あなたは(私は)どう生きる???



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『語れるストーリーがある』
『語れるヒストリーがある』
『語れるこだわりのモノづくりがある』
『語れるデザインがある』 ・・・・

そんな”語れるインディアンモーターサイクルの〇〇の集合体”は、「ただの移動手段ではない、人生を満たしてくれる相棒」になる。


インディアンモーターサイクルのスローガンでもある『MAKE THE FIRST MOVE(最初の一歩を踏み出せ)』
とても好きな言葉です、人生を満たすもの=インディアンモーターサイクルのある生活を・・・この夏から一緒に楽しみませんか♪♪


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外車やしなぁ~
初めてのバイクにはなぁ~
インディアン??よくわからんしなぁ~ と、

「気になってるけど不安要素の方が大きい」という方、多いかと思います!

インディアンモーターサイクルのスローガン”MAKE THE FIRST MOVE=最初の1歩を踏み出す”にもあるように、「気になっちゃったら一歩を踏み出してとりあえず不安をぶつけてみる」のがオススメ(*´Д`)



NORTH OSAKA INDIAN MOTOCYCLEでは、私(西尾)以外にも、「ハーレー正規ディーラー20余年」の実績を活かして、経験豊富なスタッフ&メカニックがおりますので、【”人生を満たす”お客様の相棒探し】をお手伝いいたします(;゚∀゚)=3

一気に暖かくなってきまして、いよいよ「バイク乗りた~~~~~い」という方のお問合せが日に日に増えてます♪

早めに動き出すと、その分早くバイクシーズンを楽しめますので、迷ってる方・悩んでる方はとりあえずお店でいろいろお話しましょうね~♪

 

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4万円相当の純正レインウェアをプレゼント・・・という、一般常識とはちょっと違うキャンペーンがスタートしております\(^o^)/

 

インディアンの”骨太すぎる”メーカーキャンペーンが発進した件

 

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★★インディアンモーターサイクルとは??★★

1901年よりスタート
「アメリカ最古のモーターサイクルブランド」

1920年代まで
”世界最大・世界最先端”のバイクメーカーとして・・・

1940年代まで
”イノベーションを続けるモノづくり”でハーレーとしのぎを削り・・・

1950-1990年代
不遇の時代を過ごした「アメリカの伝説”インディアンモーターサイクル”」。


2000年代より「大いなる復活」
”伝統””クラフトマンシップ””イノベーション”を柱に、
【デザイン×運動性能の高次元な融合】でアメリカンモーターサイクルの先端を走り続けます。

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「大阪市内からアクセス抜群」な立地で【NORTH OSAKA INDIAN MOTORCYCLE】!!
情報発信はSNSでも!ぜひフォローよろしくお願いいたします(;゚∀゚)=3
インスタグラム https://www.instagram.com/north_osaka_imc/

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NORTH OSAKA IMC(HDxMINO)の強いとこ5つ↓↓

①全国でも稀な「ハーレーとインディアンを同時に試乗して比較検討出来る店」
②HD正規販売店として20余年の蓄積(スタッフ・整備などトータルサポート)
③系列に”HD正規ディーラー2拠点+インディアン正規ディーラー1拠点”といつでも連携
④インディアンモーターサイクルの正規販売ディーラー!!
⑤171号線沿い&新御堂筋からスグ!関西各エリアからスマートアクセス♪

「上質なアメリカンモーターサイクルと共に歩むバイクライフ」
を全力バックアップいたします\(^o^)/

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”INDIAN MOTORCYCLE MANIA( https://www.youtube.com/@IMC-MANIA )”